「やりたいこと」「好きなこと」「夢」が息苦しい。
「やりたいことをみんなでシェア」
「やりたいことと仕事を合わせていくのもマネージャーの仕事じゃないの?」
「プライベートも含めてだよ」
知り合いのマネージャーに言われた。
ずっと頭の中で言葉が巡っていた。でも何に引っかかっているのかがわからなかった。
「やりたいこと」「好きなこと」「やりがい」「達成感」「夢」「面白いこと」「楽しいこと」・・・。
自身は仕事以外にもプライベートでたくさんやりたいことがあるつもりだ。
だから、本音を言うと時間はたくさん欲しいし、お金だって欲しい。でも、自身は資本家ではなく労働者なので、仕事は仕事だとずっと割り切って生きてきた。
自分自身ですら「やりたいこと」と仕事が直に結びついていないのに、人に教えることなんてとてもできない。まして、誰かに対しやりたいこと=今の仕事の延長みたいに強要するなんてとてもありえない。
仕事以外の時間をどう生きていようが、正直自由だ。やりたいことと仕事も人によっては違ったっていいと思っている。
聞いた瞬間「それはモラハラじゃない?」。黒い感情がグルグルと頭をよぎった。
「なるほどですね!」「勉強になりました」
全く、私という奴は・・・。
この「やりたいこと」「好きなこと」問題は、根が深いように思う。やりたいことを実現するのが非常に良いことで、好きを仕事にしている人は幸せ。みたいな風潮がその要因と一人で考察する。
けれど、実際のところは「やりたいこと」「好きなこと」と「向いていること」「結果が出ること」は違うように思うのだ。(もちろんこれが合致する人もいる)
自身で言うと、歌を歌うことは好きだが、残念ながら音痴でよく音程を外す。(いつかはゴスペルやアカペラをやってみたいものだ・・・。いつも残念な目で人に見られている。)好きだったとしても、結果を出せなければ、さらに、仕事では難しいように思う。
だからこそ、大切なのは「向いていること」「結果が出ること」にいかに自分のリソースを傾け、磨き、好きになっていく努力をするか、と言うことだと思っている。
で、そのためにはできるだけたくさん打席に立って、三振しまくっていいから「向いていること」「結果が出ること」を探していくことだと思う。
「やりたい」じゃなくて「好き」「向いていること」。これの輪郭を濃くしていくこと。自身の考え方はやっぱりこっちがしっくりくる。
生き方のスタンスなので、「やりたい」を否定するつもりは全くないのだけれど、人に押し付けられたり、誰かに強要されたりするとやっぱりちょっと息苦しい。「好き」「向いている」を主軸にした生き方がもっとマイノリティになったらいいな。
自身がボンクラだからなのか、それともこうした考え方の人もいるのか・・・。悶々とする月曜日の夜。